LOG IN

繋がっていく命と、想い

by Meggy

ずいぶん長い間、ブログを放置していた。その間に春が過ぎて、夏が過ぎて、いまは秋のまんなかにいる。いろんなことが終わって、いろんなことが始まった。

祖母が他界した

実家でずっと同居してきた母方の祖母が亡くなった。物心ついてから一緒に暮らしてきた祖母。「白玉だんご、きな粉と砂糖醤油どっちがいい?」って聞いた声も、アトピーの薬を脚に塗ってくれた指の感触も、なんどもなんども繰り返されてきたからしっかり憶えてる。でも、それはもうどこにもないんだから、どんなに探してみても絶対ないんだから、命ってほんと不思議だ。

実は、6月の終わりごろから祖母の調子が良くなくなって、ヌーラボにお願いして週に1-2回リモートで仕事させてもらってた。仕事の合間、食事を拒否してほとんどの時間を眠って過ごす祖母の横について、いつも「今日が最後かもしれない」と思っていた。それなのに、いざ亡くなってみると、「ちゃんと優しく接すことができてたかなぁ」とか「最後に一緒に過ごせた時間、もっとおばあちゃんを見つめたら良かった」とか後悔して、泣いた。バカだなぁ。だって、衰弱が目に見える98歳の祖母。いわゆる「腹決め」「覚悟」の時間はいっぱいあったはずだ。それなのにね。

祖母の葬式で、姉が「お別れの手紙」を読んだ。姉は、「これ以上祖母が苦しむ姿を見るのはつらい。もう許してあげてほしい。だけど、それが今日じゃありませんように。毎日そう思った」と述べていた。本当にそうだった。

パパとママが旅行でいない日、夜ごはんを祖母とふたりで食べながら「ママには秘密ね」と話したこと、祖母は結局秘密にしてくれたんだろうか。祖母の性格を考えると秘密にしてそう。約束をひっそり守る人だったから。多くを話しすぎずに微笑んでいる人だったから。いつもいつも私に優しい人だったから。そういうすべてが大好きだった。

おばあちゃん98年間お疲れさま。白玉だんごを作った青いボウル、横に座った私の太ももを触る癖、一緒に過ごしたたくさんの時間。ずっと忘れないよ。

(大好きなパパ、ママ。長い期間の壮絶な(!)介護、本当にありがとう。お疲れさま。できなかったこといっぱい一緒にやろうね。大好きだよ)

姉が母になった

姉がとっても元気な男児を出産した。でも出産のときは大変だった。陣痛は結局、3日間にも及んだ。その間私は、「どうか姉が無事でありますように」と祈るしかなかった。きっと姉は「子どもが無事でありますように」と祈り続けただろうなと思う。文字通り、自分以外のために自分を切ってもいいと思うのだから、私には想像がつかない。姉と義兄、そしてこの世にリリースされたばかりの甥っ子。「生まれたよ」の報告を受けた翌日、朝一番で会いに行ったとき、実は、甥っ子のかわいさより、姉夫婦への祝福より、姉への愛情を感じたのが先だった。

幼少期の記憶や感情を共有している私たち三兄弟は、お互いがレアな存在であることを自覚しているけれど、同性だからか、姉は友達のような感覚が強い。幼い私はいつも4歳上の姉の真似をしながら育った。姉の化粧道具や服を勝手に借りて、背伸びしては両親に怒られた。幼少期の4歳差はとても埋められなくて、何をするにも姉の方が上手だった。性格も好みも似ていないのに、声や仕草や、遠くから見たときの見た目は双子みたいで、よくネタにされた。大人になってからは、どちらかができないことはどちらかができるようになって、お互い役に立った。そんな姉が命を懸けて出産に望んでいたとき、まだ見ぬ甥っ子よりも姉が無事であることを祈ったのは、自分の半分がなくなってしまう気がしたからかもしれない。…と思ってみたけど、それは違う。自分の半分がなくなるなら耐えられるけれど、他に代わりのいない姉だから怖かったのだ。

さて、姉の息子が生まれてから、もう3ヶ月以上経った。おかげ様で、すくすくぷくぷく大きくなっている。彼は、寝たり泣いたりしながら かわいがられて、その代わりに周りのひとに幸せを与えている。最近は声を出して笑ったり、自分の名前を呼ばれて反応したりする素振りも見せる。かわいくて仕方ない。ムービーが送られてくる度になんども再生する私は、完全に「叔母バカ」だと思う。甥っ子が生まれる前は「姉が無事でありますように」の気持ちのほうがよっぽど強かったのに。

甥っ子よ。君がお腹に宿ったのを知ったその日ね、君のママが、誰よりも先に私に電話をかけてきてくれたんだよ。私、嬉しくてどきどきして、そのときのことしっかり覚えてるんだよなぁ。次に君のママに会ったときはいつもと変わらない身体だったのに、それからどんどんお腹だけ膨らんでいって、体調が優れない日も多くて、家族みんなで不安と緊張と応援とワクワクの混じった気持ちを共有した10ヶ月だった。そして、君のママが大変な思いをして、君のパパがそれをしっかり支えて、他のみんながめっちゃ応援して、君が生まれた。いまだって、これからだってそう。君のことをみんなが想ってる。

いつも誰かを想ってる

年齢を重ねるにつれて、大切な誰かのことを「無事でありますように」「笑って過ごせますように」「私がそのぶん大変になってもいいから」って考えることがすごく増えたように思う。それと同時に、きっと私も同じように、誰かに幸せを祈ってもらったり大切に思われたりしながら生きてきたんだろうな、と気付く。

うん、確かにそうだった気がする。いまはもういない祖父は、中学生だった私に「学校どうだった?」とか「お友達とはどう?」ってよく聞いてたもんね。そのときは、「おじいちゃんは私を大事に想ってくれてるのだわ」とか考えもしなかったけれど。

そう考えてみると、「愛はいつも一方通行で、見返りを求めない」っていうのは案外、本当なのかもしれぬ。ただただ、相手の幸せを願うという行為。だから、愛を受ける方は、愛されてたことにあとになって気付いたりする。まぁでも、幸せをただ願う相手が増えるということは幸せなことで、その「ただ願う」という行為そのものが自分を満たしてくれるのだけど。

命をまっとうして、いなくなった祖母。命がけで自身の息子を守った姉。うまれたての命を懸命に生きている甥。「永遠」も「当然」も無くて、みんな奇跡の中を生きてるということを思い知らされる。

姉が甥を産んだのは6月半ばで、祖母はそこから1ヶ月しないうちにこの世を去った。見届けてくれたね、とみんなで話した。ひ孫がどんなにかわいいか、今ごろ、自慢げに祖父に話してくれているだろう。なるほど、誰かを想う気持ちに、生死は関係ないのだ。亡き祖父母が、亡き叔母たちが、私の大切な人たちの幸せをきっとこれからも祈り続けてくれる。そう考えると、どこまでだって強くなれる気がする。そしてとにかく、私の人生に出会ってくれたことにありがとうと思うのだ。

私も、ずっと、思い出ごと大事にするからね。


Meggy
OTHER SNAPS